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zoom RSS ダビデのように その2 高山病(高慢病)

<<   作成日時 : 2009/05/14 15:32   >>

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 昨日、月刊『いのちのことば』の6月号が、いのちのことば社から送られてきました。
そこに、マックスルケードの最新刊、「ダビデのように」の書評が掲載されています。
ネット上からでも、見ることができます。いのちのことば社のホームページをご覧ください。
http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_t.cgi?keys34=0002287

 さて、実はこの書評は、ちょっと消化不良でした。というのも、原稿には字数の制限があったので書き足らなかったこともありますが、それだけではありません。それは入稿後の私の生活の中で、この「ダビデのように」が、『私に間に合う』書物として、いろいろなところで、私の励ましとなり、慰めとなっているからだと思います。そこで、もう少しここに書きたいと思います。

 私が今、もっとも自分に言い聞かせているのが、「ダビデのように」の第15章に書かれている「高山(高慢)病」に気をつけることです。
 ルケードは、ダビデのバテ・シェバとウリヤに対する罪の原因を「高山(高慢)病」だったと説明しています。人は高い地位に着いたり、権力を握ったり、人から敬われるようになると、「高山(高慢)病」になる危険があります。高いところにのぼると、地上の人の姿やその人の生活はどんどん小さくなっていきます。そして、一人一人の表情が見えなくなるため、一人一人を尊い存在として見ることも、思いやって接することもできなくなると、ルケードは言います。
 バテ・シェバは愛する夫を持つ一人の人間でした。しかしダビデは、ただ美しい女性としてしか見ませんでした。呼び寄せれば思い通りに自分のもとに来る自分より低い存在で、容姿の美しい女としてしか見ていなかったのです。
ウリヤに対しても戦場から一声で呼び戻させ、命令書一枚で激戦地に送り出して殺すことの出来る単なるコマのような兵士としてしか見ていませんでした。
 高山(高慢)病は、何も地位や権力のある人、トップに立つ人やエリートだけがなるのではありません。高慢病とも記されている通り、誰でも、高慢になる危険がいつもあります。だから気をつけねばなりません。物事がうまくいっている時、人から評価された時、褒められた時、何かを成功させた時などなど、いつでも高慢病にかかる危険があります。
 イエス・キリストも、ルカの福音書18章9-14節で、神殿で祈る二人の人の譬えを話されました。自分自身を誇った祈りをしたパリサイ人よりも、罪深い自分自身を嘆きながら胸を打ち叩いてうつむいて、ただ主の憐れみを求めて祈った徴税人の方が、神の前には「義しい(ただしい)人」とされました。
 謙虚な心、砕かれた心でありたいと思います。

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