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zoom RSS 大相撲の大好きだった少年

<<   作成日時 : 2010/07/11 09:56   >>

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大相撲が今日から始まる。
私は普段から大相撲に興味をもって見ているわけではない。
そんな私でも、賭博問題でこの名古屋場所が異例の事態だと言うことはよくわかる。
大相撲は不祥事の連続だったが、この賭博問題でノックアウトということなのだろう。

ふと、心によぎったのは、大相撲が大好きだった少年のことだ。
もう5、6年前だろうか。
教会学校に通っていた男の子は熱心に大相撲を応援していた。
引っ越して教会学校には来なくなったが、今は中3か、高1ぐらいだろうか。
あの少年は、今も大相撲が好きで応援してるのだろうか。

今回の賭博問題だけでなく、近年、明るみに出た相撲界の数々の不祥事によって、かつては憧れのまなざしで見ていた大相撲の力士たちが、実は、してはいけないことをしていた、という事実を知った少年たちは決して少なくないだろう。
あの少年は、今、どのような目で大相撲の力士たちを見ているのだろうか。

一般的に、親や学校の先生はよく、スポーツに打ち込めば、心も体も鍛えられるとか、困難に打ち勝つ心を育むことが出来ると言う。だが決してそうではないことを大人自らが、見せてしまっているのだ。

何も大相撲の不祥事だけを言っているのではない。
犯罪やいろいろな事件が起こるたびに、その報道の内容が理解できる年齢に達している子どもたちは、その心に失望を積み上げているのではないだろうか。或いは、どうせこんなものだと社会に対して醒めた目をするようになっていくのかもしれない。
いずれにせよ、大人や学校や社会が、今まできれい事しか語っていなかったことに気づくだろう。

だから大人はもっと立派であれ、と言いたいのではない。
人間にはそういった心の闇や弱さがあるということを、誤魔化さずに語り、その事実に向き合い、乗り越えていく力を育むような“心の教育”が必要なのではないかと思う。

私は牧師なので、どうしても聖書の「創世記」を思い出さずにはおれない。
聖書を読んだことがある人は知っていると思うが、聖書はそのはじまりの「創世記」から、人間の弱さや失敗を赤裸々に記している。
夫婦や兄弟の争い、人間同士の妬みや欺きなど、それらは現代の人間の姿と少しも変わらない。
しかし、聖書はそこから始めている。
そして人間のもつ弱さや失敗を余すことなく語り、その事実を認めながらも、そこから人がどのように立ち上がることができるかを語る。どのようにしてそこから救われ、内側から変えられるということが起こり得るのかを示している。

子どもだから、耳に触れないように、目に触れないようにするというのではなく、たとえスポーツ選手でも、学校の先生でも、親でも、人の心には、弱さや失敗があるということを教えなければならない。そして、それは自分をはじめ、誰の心にもあることを教えて、その心の負の面とどのように向き合い、生きるのかを教えなければならないのではないだろうか。
ただ、この世の現実に接して失望を積み重ねながら大人になるというのではなく、どのようにして希望を見出し、立ち上がるかを教えなければならないのではないだろうか。
心の教育とは、そのようなものであってほしい。
それが子どもたちにとっても、将来、必ず生きる勇気や力へとなっていくに違いないと思う。

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