8月15日の礼拝では、新約聖書のエペソ人への手紙5章22節から6章4節が開かれました。 使徒パウロは、「妻たちよ、父たちよ、子どもたちよ、親たちよ(父たちよ)」と呼びかけて、家庭の人間関係について語っています。 パウロは結婚しないで生涯、独身でした。もちろん血を分けた子どももいません。ですがはっきりと家庭のあるべき姿について教えることができました。それは彼には、家庭の人間関係のあるべき姿、その基準がはっきりしていたからです。ですから、この日の礼拝メッセージの題は、「家庭の座標軸」としました。 座標軸であるX軸とY軸、つまりその交わっている原点がはっきりしていれば、座標がわかります。 座標が分かれば、今ある位置が分かり、修正することや目指すべき方向がわかります。 家庭にも座標軸があれば、家庭のあるべき姿がわかり、修正したり、目指すべき方向がわかります。 しかし今は、その「家庭の座標軸」が見失われ、家庭のあるべき姿が分からなくなっている時代です。 家庭があてどもなく漂流していると言ってもいい。 育児放棄や虐待によって幼い我が子の命を奪う親が後を絶たなかったり、消息不明の高齢者が大勢いることが判明したこと、直葬による葬儀の簡略化などは、座標軸を失った現代の家庭を象徴しているではないかと思う。 家庭の漂流は、結婚の尊さに対する無頓着、子育てにおける命の軽さ、家族の絆の喪失、愛する家族の死を悼み送り出す葬送の軽視などとなっているのだと思う。 2009年3月10日に放送されたNHKの「プロフェッショナルの流儀」では、認定NPO法人 北九州ホームレス支援機構 理事長、奥田知志さんが取り上げられていました。 http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090310/index.html 奥田さんは、東八幡キリスト教会の牧師でもあります。 彼は、ホームレスの人たちは、ただのハウスレスではないといいます。文字通り、ホーム(家庭)レスなのだといいます。そしてどんなにハウスを支援しても、生きる上で必要な人と人との絆であるホームを回復しなければ、本当の解決にならないと言います。 日本という国は、ハウスはあってもホームが失なわれています。見えないホームレスが溢れています。 |
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