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zoom RSS 人生80年に見合う死生観

<<   作成日時 : 2010/08/22 18:44   >>

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 先日の読売新聞で、宗教学者の山折哲雄氏が、「気がつけば、日本はあっという間に人生80年という高齢社会を迎えていた」と述べていました。織田信長が「人間五十年、下天のうちをくらぶれば〜」と敦盛を好んで舞って以来、約四世紀。つい2、30年ほど前の昭和の時代まで、日本人は人生50年という感覚で生活していた。それが気がつけば人生80年時代を迎えていたと言います。
 敦盛の「人間五十年」というのは、そもそも天上人の一日が人間界の五十年にあたるという仏教思想を背景としていますが、それも当時の人々に、人生50年という感覚があってのことでしょう。山折氏は、近年の研究で、江戸時代後期の平均寿命はほぼ50年だったいうことも判明していると述べていました。
 そして、問題は、私たち日本人が人生80年に見合う死生観を持っているかだ、問うていました。

死生観とは、つきつめれば、どう生きて、どのような死を迎えたいかということでしょう。

それはつまり、「生きる目的」を持っているかということです。

現代の日本人の悲劇は、寿命はのびたけれども、それに見合う生きる目的を持てていないことです。

だから長生きと幸福度が噛み合いません。

生きる意味が分からないから、「いのち」や「死」が軽んじられています。

お葬式はいるとかいらないとかとかいった葬送に関する混乱も、絆が切れたような所在不明の高齢者の存在も、虐待によって死んでいく子どもたちの存在も、いのちが軽んじられている延長線上にあり、それは突き詰めれば、生きる意味が分からなくなっているからではないでしょうか。

しかし、キリスト者にとって生きる意味や目的、どう生きてどう死ぬかは明快です。

与えられたいのち、人生、性別、才能、能力、環境・・・。そういった視点に立つ時、生きる意味も目的も自ずとはっきりとしてくるからです。

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