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zoom RSS 人の正しさか、神の正しさか

<<   作成日時 : 2015/12/13 07:07   >>

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人は至る所で自分の正しさを振りかざす。
だが、必ずしも「正しさ」が解決になるとはかぎらない。
むしろ、人を傷つけることもある。また、人の正しさのぶつかり合いが新たな争いを生む場合もある。
これが人の世の正しさの限界です。

ヨセフは「正しい人」で、婚約者のマリヤが身ごもっていると知って、身に覚えのないヨセフは、密かに離縁しようと考えた。(マタイ1章18〜25節)

「離縁」というのは、当時のユダヤ社会において。婚約関係にある二人は社会的に夫婦と認められていたからです。
また、当時の宗教的倫理観を基盤としたユダヤ社会において、姦淫罪は重罪で命にかかわる社会的制裁を受ける可能性がありました。
正しい人ヨセフは、マリヤをそのような身の危険にさらすことも、人々の面前でさらし者にすることもできなかったのでしょう。しかし、マリヤをそのまま受け入れることもできなかった。だから「密かに離縁」という道を選ぼうとしました。
ですが、その後のマリヤは、お腹の中のイエスはどうなるのでしょう。
しかし、そんな時、夢で御使いがあらわれて、ヨセフに人の正しさ以上の道をしめし、その道を進む力を与えました。

家庭で、職場で、友人たちの中でのあなたの主張は、「正しい」かもしれません。
ですが、それを振りかざすことだけ、押し通すことだけが、唯一の解決ではありません。

神はそれ以上の解決をお持ちかもしれません。
そして、その解決は、ひょっとしたらあなたが損をして誰かが得をする結果になったり、
誰かの過ちが見逃されたり、不公平と感じずにはおれない結果をもたらすかもしれません。
あるいは、あなたのプライドが傷ついたり、あなたがガマンさせられたりするかもしれません。

ですが、あなたの「正しさ」があなた自身を満足させるためではなく、
あなたの目の前の人を幸せにする「正しさ」を求めるなら、
人の世の正しさではなく、神の求められる「正しさ」が何であるかを尋ね求め、それを選ぼう。

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