「神が神ご自身と戦ってくださる」ヨブ記16章19~22節

 ヨブは信仰も道徳面も正しく完全で、その上、莫大な富を手にする三拍子揃った理想の人物です。だが突然、次々と苦難に遭い、家族も財産も失い、健康まで失う。ヨブ記は「義人がなぜ苦難に遭わねばならないのか」という問いを提示しています。  ヨブ記に万人共通の普遍的な答えは記されていません。ですが幾つか示唆を読み取ることはできます。  苦難は、…
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「さらば、もみがら人生」  詩篇1篇1~6節

 風に吹き飛ばれるもみがら人生と、何をしても幸せの満ち足りた人生が対照されている。どんな人でも悲しみ、嘆き、苦しみ、死んで行く。なのにどうしてこうも違うのか。私たちにはその選択の自由が与えられている。  どのような人が幸せか、聖書は「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につかなかったその人」と消極的な形で言明して…
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「あなたの人生を用いる主」 エステル記4章5~17節

 努力が実を結びにくい社会を背景に、運命を信じる人は努力以上の何か、「運」が必要だと考える。だからパワースポットや風水に凝る。しかし、運命を信じすぎると努力が無意味に感じられ、端から努力しようとしない。結果、自暴自棄に陥って破滅的に生きたり、世を恨み、凶行に及ぶ事件も。  エステルは一見、シンデレラストーリーを体現した幸運な女性です。…
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信仰は弱い者が必要とするものか?

信仰は弱い者が必要とするものと揶揄する人がいる。 だがそうではない。 父なる神の摂理と主イエスの愛と助けを信じるからこそ、力強く歩むこともできるのです。 エステルは、死をも恐れず、与えられた使命に生きた。 信仰は、私たちに真に力強い歩みをさせる力です。
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「キリストの愛にとどまる」 ヨハネの福音書15章1~9節

 主イエスが十字架を前にした最後の晩餐で、最後の譬えとして語られたのが、ぶどうの木と枝の譬えです。  主は真っ先に「刈り込み」について語られました。刈り込みと聞くと、私たちはすぐに苦痛や試練を連想するかもしれない。だが、主はその目的は枝がより多くの実を結ばせるためと言われる。刈り込みはぶどう栽培で最も欠かせない作業だそうです。農夫は枝…
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日本は聖書の売り上げが、アメリカとイギリスについで世界第三位

日本は聖書の売り上げが、アメリカとイギリスについで世界第三位。キリスト教に知的な興味を抱く人は多い。だけど、キリスト教のことをもっと知りたいと足を踏み入れてはみたが理解しにくい。そんな人も多いのかもしれない。でも私たちのようにキリスト者となった者がいるし、禁教時代に命がけで信仰を貫いたキリスト者もいる。違いは何か。それはキリスト教を理論…
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「家のために戦いなさい」 ネヘミヤ記4章7~20節

 ネヘミヤは一信徒でしたが、エルサレム復興が停滞していることを知って心痛めて祈りました。そして、与えられた志に従い、ペルシャ王の献酌官という要職を辞して帰還することを王に願い出ます。神は王の心にも働きかけられて、ネヘミヤを総督として故国へ遣わしました。  彼はエルサレムの城壁再建に取りかかりますが、強烈な内憂外患に苦しめられます。神の…
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